[583]玉鏡|稲羽《いなば》の|白兎《しろうさぎ》

『玉鏡』
 |大国主命《おほくにぬしのみこと》が|兄《あに》|八十神《やそがみ》の|供《とも》となりて|稲羽《いなば》(|因幡《いなば》)の|国《くに》に|向《むか》ふ|時《とき》に、|気多之前《けたのさき》に|於《おい》て|裸《はだか》の|兎《うさぎ》が|居《を》つた。|八十神《やそがみ》は|其《その》|兎《うさぎ》に|向《むか》ひ、|海《うみ》に|浴《よく》して|風《かぜ》の|吹《ふ》く|高山《かうざん》の|尾《を》の|上《へ》に|伏《ふ》せと|云《い》うたので、|正直《しやうぢき》にも|兎《うさぎ》は|言《い》はるるままにした|所《ところ》が、|塩《しほ》の|乾《かわ》くにつれて|皮《かは》が|悉《ことごと》く|風《かぜ》に|吹《ふ》きさかれて|痛《いた》みに|堪《た》へず|泣《な》いて|居《ゐ》た。|其処《そこ》へ|大国主命《おほくにぬしのみこと》が|通《とほ》りかかつて|其《その》|由《よし》を|聞《き》き、|大《おほい》に|哀《あは》れと|思召《おぼしめ》して|種々《いろいろ》と|教《をしへ》られたと|云《い》ふことは|古事記《こじき》にもあり、|日本《につぽん》の|伝説《でんせつ》としてもよく|人々《ひとびと》の|語《かた》り|草《ぐさ》となつて|居《ゐ》るし、|又《また》|鳥取県下《とつとりけんか》には|白兎《はくと》|神社《じんじや》といつて|白兎《しろうさぎ》を|祀《まつ》つた|宮《みや》まであるが、|此《こ》の|兎《うさぎ》と|云《い》ふのは|其《その》|人《ひと》の|名前《なまへ》であつて、|馬《うま》とか|鹿《しか》とか|云《い》ふ|名前《なまへ》がある|様《やう》に、|白兎《しろうさぎ》と|云《い》ふ|名前《なまへ》を|持《も》つた|人《ひと》であつたのである。|即《すなは》ち|其《その》|一族《いちぞく》は|淤岐《おき》の|島《しま》から|渡《わた》つて|来《き》た|小民族《せうみんぞく》の|一団《いちだん》であつて、|中《なか》の|首長《しゆちやう》が|白兎《しろうさぎ》と|云《い》ふ|名前《なまへ》を|持《も》つて|居《ゐ》たのである。それが|海《うみ》の|鰐《わに》を|欺《あざむ》き、|為《た》めに|怒《いか》りにふれて|毛《け》を|皆《みな》むしり|取《と》られたと|云《い》ふのは、|鰐《わに》とは|当時《たうじ》の|海上《かいじやう》を|根拠《こんきよ》として|居《ゐ》た|民族《みんぞく》の|様《やう》なもので、|極端《きよくたん》に|言《い》へば|海賊《かいぞく》の|一団《いちだん》と|云《い》つても|良《よ》い。それを|欺《あざむ》いたので、|一切《いつさい》の|掠奪《りやくだつ》に|遭《あ》つたので|患《わづら》ひ|泣《な》き|悲《かな》しんで|居《ゐ》たのである。<昭8/1>