古事記と九月八日

 日本史のもとになるのが「古事記」ですが、口述者の稗田阿礼は舎人で、天武天皇の近侍でした。非常に記犠カがよいので勅語されましたが、数十年間中絶していました。しかし和銅四年の九月十八日、太安万侶か再び勅命をつけてから口述の筆記を始め、翌年正月二十八日これを天皇に献上したということになっております。聖師さまの論文をみますと、稗田阿礼は聖師の生地曽我部村の隣村、稗田野(ひえだの)村の佐伯(さえき)で生まれた人です。この人があまり記憶力がいいから天武天皇から呼び出され、神代の伝承を述べることになります。古事記はたいへん偉大な教えで、これを真に解釈できるようになったとき、神政成就の機運がきたということは非常に不思議だ、と「神政復古の本義」という大正四年の論文の中に欝いておられます。霊界物語にも、稗田阿礼のニ代目が私であると書いてあります。また、古事記は実に正しいものである。頭のいい稗田阿礼が言ったのではなく、神さまがおかかりになって、人格者を通じて、一番正しいことをお伝えになったが、残念なことに、途中でだれかが書きなおしてしまった。そこで、霊界物語は実は本当の古事記なのだ。神代のままに自分が口述するのである、と聖師さまはおっしゃっています。この稗田阿礼が天武天皇から命令を受けたのが、彼の二十八歳、聖師さまの高熊山入山の年と同じですので、実に不思議です。聖師さまは高熊山のご修行から数十何年間勉強されて、口述されたときは、稗田阿礼と同じように五十歳の坂をこえた老境に入ってからです。古事記は、太安万侶がでてきて、一日も早くしなくてはということで、和銅という時代に献上するわけです。和銅という時代は、歴史学者はあまり明らかにしておりませんが、日本の大改革が起った年と私は思います。日本に初めて銅がでできて、日本の貨幣ができたということは、日本に今日のような経済ができたということです。亀岡の出雲神社だとか、他の神社を調べると和銅創建が多いようです。これは和銅創建ということで、記録を作ったに違いない。このときに新しい日本が生まれたとも言えます。

 古事記ができたということは、新しいものが出てきたから、それ以前の古代のことを残そうという意識があったともとれます。日本史のなぞは、古事記をどのように解釈するかということから始まっております。もともと、古事記は内裏(だいり)の内輪話だったと言われ、「日本書紀」は対外的に響かれ、それで当時の宮吏は教育された、という記録があります。古事記は内伝で、皇室の内輪話であるが、どうやらそれは丹波の風土記ではないかとも考えられます。丹波の歴史そのものが入った、というようにみえます。正統の古事記と言われる真福寺本をみますと、北朝の年号で書いてあります。この本は北朝直伝の内輪話ととれるわけです。

 丹波の周山に北朝最初の天皇さんが帰ってきて亡くなっておられます。足利尊氏はその天皇を擁立したがために、歴史上では逆賊と言われてきましたが、実は勤王家であったようです。そこで、日本の大事なものは北朝に伝わったらしいとも言われています。今回、日本では南朝からまた北朝になって、今の天皇さまになっております。また、北朝のもっとも正系である有栖川宮と聖師さまのかかわりをみてゆきますと、古事記の解釈の本が霊界物語であり、それを聖師さまが口述されたことは血統上の国縁もあり、たいへん意味の深いものを感じさせられます。聖師さまは、古事記をはじめ古典の解釈をされるのに、大本神論に出ている言葉を鍵として、言霊学とご自身がご覧になった神界の活歴史とを合わせて解釈されています。この点がすばらしく他に類をみないところです。神諭はすべての宝の神秘の鍵を隠してある。この鍵で神典・聖書や仏典をひらきますと、すばらしいみろくの世の内容が出てくるというのが、神秘の鍵の宝庫である大本神論です。聖師さまは、この神秘の鍵を縦横無尽に活用されています。ですから、現代の古事記が霊界物語であると言えます。古事記と霊界物語、稗田阿礼と聖師さまのご口述のいきさつであるところの゛二十八歳゛゛九月十八日゛゛老境での口述゛など、やはり大きな神さまの仕組があって、日本の神典の基礎を残してくださった。これは非常に有難いことで、これがなかったら、みろくの世の設計図は地上にないということです。こういうことが、日本史の上からも充分考えられます。このように推察しますと、日本史上の九月八日の仕組みは、古事記の口述筆記であるといえます。古事記序に「和銅四年九月十八日を以て、臣安万侶に詔して、稗田阿礼が誦ずる所の勅語の旧辞を撰録して以て献上せしむてへり。

 日本は明治元年九月八日に王政復古の実践を開始して、遂に昭和二十六年九月八日に、軍国日本から「平和日本」へと突入することとなりました。大本は「明治三十二年九月八日」から厳と瑞とのウケヒがつづき、大正五年旧九月九日にサニハはおわり、更に昭和二十年九月八日の天王台のサニハ、即ち大本第二次事件がおわり、ここにミロクの神業に本格的に突入したのであります。

 九月八日は神界三千年の大経論でありますが、大本では゛九月八日の御神命゛とは霊界物語であります。九月八日は神界にとっても人類にとっても、永遠の謎をとく神鍵であります。

 稗田野神社宮司、桂倉之助氏所有の稗田野神社の由来には「稗田阿礼は曽我部の産なり」と記されてある。即ち稗田阿礼丹波説である。

 

 大本の゛九月八日゛の意義 出口王仁三郎

 大本では九月八日を非常に尊重するのであります。何故なれば九月九日は菊の節句であり、九月八日はこれに先立つこと一日であって、何事も世の中に先端を切り、来らむとする事を前つ前つに覚って実行しているからであって、これを九月八日の仕組といふのであります。

大本は世にさきがけて一切を 世人に示す神の聖団  王仁

(真如の光 昭和六・一一・一五号)